岩尾醤油醸造元

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代表挨拶

こだわり製法を受け継ぎ丹念込めて製造

GREETING

スタッフ一人ひとりが誇りと情熱をもって、日々努力しています。少しでも多くのお客様にご満足いただけるよう、醤油の味と品質について常に追求し続けています。福井市に拠点を置き、創業の明治7年から現代に至るまで良質な醤油を製造しております。製造場では見学のご利用も受け付けており、通販以外でも醤油の魅力を伝えられるよう、心を込めて製造しております。


通販で高級の醤油をお探しの際は一度お試しください

醤油の質にこだわった品は通販でのオーダーを随時承っております

通販でもご利用いただける醤油が魅力の店舗はスタッフの一人ひとりが誇りと情熱を持って日々尽力しており、少しでも多くのお客様にご満足いただけるよう味や質を追求しております。ギフトにも最適な逸品となっておりますので、贈り物を検討されている方はぜひご購入をご検討ください。福井市に拠点を置く岩尾醤油醸造元は創業の明治7年から現代に至るまでこだわりの製法を引き継ぎ、良質なお下地をご提供しております。製造場は見学のご利用も受け付けております。通販以外でも醤油の魅力をお伝えできるよう心掛けておりますので、ぜひご連絡ください。


ご挨拶

岩尾 英信

代表

【メッセージ】
「ヂガミイワ醤油」の名でご愛顧頂いている私ども岩尾醤油が創業したのは、明治7年のこと。
日本海の荒波が押し寄せる越前海岸・鷹巣村に生まれた初代・孫次郎は、魚の売買で生計をたてていましたが、危険の多い小船運搬業を廃業し、安定した醸造業の開業を決意したことに始まります。
創業から現在に至るまで変わらない製法を守り続けるこだわりの醤油は、海の幸を調理するのに最適と料理のプロの方々からも大変ご好評を頂いております。
老舗が生んだ絶品の醤油をぜひお試し下さいませ。

歴史の紹介

初代:孫次郎

我が家の初代孫次郎(幼名糸吉)は、旧坂井郡鷹巣村松蔭区の孫左ヱ門の長男として、文化6年2月16日に生まれたが、幼少の頃より分家することを理想としていた。
天保5年8月1日、22才でわずかの田畑と日常品、仏具を譲り受け、実母及び弟岩蔵を伴い分家し孫次郎と改名した。家は和布永見大順の家を買い求め現在の松蔭町3号1番地に建て、当地、勝明寺より土蔵を買い求め塩魚を加工し、長橋とみの浦より2名を日雇いし、敦賀、三国間を小舟にて航海し魚の売買で生計をたてていたが、翌々年、天保7年から8年にかけて米穀の不作が続き物価は高騰し、飢死する者も全国で多く出た。
当地でも亀島の松、五尺廻り、八尺廻りまで、66本を売り払い、その代金は当家外2名を除き分配し生活にあてた状態で、この時、共に助け合って来た弟も23才の若さで他界。その後は孫次郎1人で母を養い、家業を営なければならなくなり苦しい毎日が続いたようだ。そのような状況の中で25才の時、当区孫左ヱ門6女「いと」と結婚した。
そして飢えを乗りこえるため田の開墾と本業の漁業に取りくみ、食べんがために必死になって働いた。ようやく飢えも乗り越え、これからと言う天保11年9月23日に当区彦平より出火し、当家作業場など全焼しどん底につき落された。しかし生来負けん気の彼は、翌12年四ヶ浦よりかやぶき1棟を買い求め、作業小屋などを再建した。その後も数回の暴風雨等で漁船を失ったこともあるが、努力し続けて嘉永6年、5人頭の役をもらうまでになった。文久2年2月、長男初五郎と本家孫左ヱ門5女「ゆう」と結婚したが、危険の多い小船運搬業を廃業し、漁業と魚加工を中心に計画をたてるようになった。しかし長男初五郎は31才の若さで病死し、その頃より安定した職業を求めて醸造業の開業を決意した。そのため明治6年5月頃までに土蔵などを新築した。一方、長男死亡のため、4男乙五郎に家督を相続させニ代目孫次郎を襲名させた。

ニ代目:孫次郎

明治7年4月、漁業の他に新しく醤油醸造業を開業した。その後醸造業も順調に発展し、明治14年醸造の場所も手狭になるまでになり、新しく土蔵1棟を建築し醤油醸造に本格的に力を入れた。その矢先、明治15年1月13日隣区より出火で当区の家の大半が焼失する大火に遭ってしまった。その大火の際に孫次郎は、新築したばかりの土蔵内に閉じ籠り、火が入って来ると手押しポンプで消火にあたったため、醤油の原料や諸味だけは助かり、その後の復興が早く出来たのは不幸中の幸いであった。
明治20年土蔵も再築し、もとの状態までに立直ることが出来た。その後、漁業、醸造業共々順調に発展した。そして、明治41年には醸造所を2棟増築するまでになった。その間、ニ代目孫次郎は村の種々な役職を務める一方、人望も集めるようになって来た。明治45年7月1日より塩小売業を開始し、大正3年には麹製造の免許を受けて、その製造にも力を入れるようになった。

三代目:孫次郎

三代目孫次郎は、乙五郎と、初五郎の子「いゑ」との間に明治21年9月25日生まれ、幼名を光五郎と称し、明治45年5月5日、当区の阪下市郎右ヱ門長女「かよ」と結婚し、大正14年家督を相続したが、彼は経営手腕があり、今までの家業を発展させる一方、木炭販売や発動機船で底引網漁をし、大正末期にはようやく家運の隆盛をもたらした。
当家で製造した醤油は当地はもちろん、船を持っていた関係上、鮎川、蒲生、茱崎、三国など遠くは北海道まで販売していた。当時はまだ道が充分でなかったので、原料等の入手もすべて自家の船を利用していた。そのため運送費等の必要経費も少なくすることが出来ていたようである。なお、三代目については残してある家訓を見ても、その人がいかに事業家であったかが窺える。家訓とは次のようである。

心得五ヶ条
一、本源の小さきを忘れ、流れの大きさほこらざる様、心掛くべき事。
一、険と斉、勇と乱、愉と驕とをあやまだざるよう、心掛くべき事。
一、祖先より伝わりたる営業を盛大ならしめ、一家の円満をかかざらざる様、心掛くべき事。
一、営業は、すべて時代により、吉凶あれば時にならい、営業の盛緩を計り、開運の期を待つべき様、心掛くべき事。
一、従来より伝わりたる営業を廃止し、経験のなき営業に専念せざる様、心掛くべき事。

このように我が家運に大きな貢献をなしたニ代目は、昭和18年に、三代目は昭和10年に他界した。

四代目:孫次郎

幼名久義は、明治42年11月20日、坂井郡春江町田端の上野弥兵衛の五男として生まれ、昭和8年11月4日長女光枝(現代表者)と結婚し、父の死後昭和10年より家督を継ぎ四代目孫次郎を襲名したが、戦いは激しくなり船は戦争にかりだされ、醤油も統制時代に入り暗い毎日であった。
戦後間もない昭和21年6月、醤油醸造を家業の中心とすべく、糸崎地区「現在地」に倉庫、諸味倉、作業場などを新築し、その後ボイラー圧搾機等も入れ工場内も合理化し自動車も買い入れた。昭和33年、当家発展に長年大きな力を与えてくれた漁業も、不振と漁夫不足のため廃止し、醤油醸造一つに家業をかけることになった。しかし、ニ代目も四代目も、村や地区役職を多く持ち、地域の発展にカを入れる事が多く、この間には三代目、四代目ともその実弟の協力があったことを忘れてはならない。
昭和47年2月17日4代目も急病死し、その後、妻光枝を責任者として全員協力し、家訓を忘れず家業に精を出している。昭和48年には、創業百年祭も行い現在に至っている。

醤油にこだわり通販などでも高い評価を獲得する岩尾醤油醸造元は、お客様にご満足いただけるようスタッフの一人ひとりが、味や質の向上に日々努めております。また、工場見学のサービスも行っており、お越しになった方が楽しめるよう豊富な知識と真心を込めた応対でしっかりとおもてなしいたしますので、ご購入以外でもぜひご利用ください。工場見学の体験コーナーの詳細や気になる点、お買い求めの際のご質問はお問い合わせにて随時承っておりますので、気になる点をお持ちの際はお気軽にご連絡ください。
観光で近くにお越しになった旅行客の方や、帰省されたご家族といった様々なお客様からもご好評をいただく工場見学では、マイラベルを貼った世界に一つだけのお下地をプレゼントしております。良い思い出となるようスタッフが尽力いたしますので、醤油にご興味をお持ちの方は通販でご購入いただくのはもちろん、工場見学でもお楽しみください。

五代目:代表 光枝(現代表の祖母)

四代目が昭和47年2月17日に急病死した後、光枝を責任者とし昭和56年に他界。
昭和48年には、創業百年祭。

六代目:代表 英信

父学、母玲子の間に昭和36年3月3日に岩尾家に待望の長男誕生、学は越廼村大味の西木に生まれ岩尾家に婿養子として母玲子と結婚、教員をしていた為代表には付かず一代飛び越し代表に就任。
大学生でもあり作業はもっぱら母玲子と分家祖父が行っていました。その後、父は定年後、作業を継続し続けた。
大学(福井工業大学機械工学科)卒業後、機械設計への道に進み会社勤めをしながら家業を手伝い、39歳の時に独立設計業をやりながら、父学が平成23年9月に他界。本格的に全部の作業を継続。
よく何代目と聞かれると困っています。
その後、父が植えた梅の中で出荷出来ない梅を活用出来ないかと考え、梅醤油等を製品化(福井の恵み)の認証をもらった商品を作り新しい事にチャレンジ中。

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